感想

かんがえたことなど。

「終わった」のか?「終わってない」のか? 『少女終末旅行』読み終わり

マンガ最終話までのネタバレを含みます!

 

すげぇ作品だった……。

小学生の頃、ハリー・ポッターの最終巻が読みたくなくてしょうがなかった。物語の終わりというのはつまり、その世界・キャラクタたちとの別れということだから。そこにはどうしようもない寂しさがあった。その世界は、物語の最後のページのその後もつつがなく存在し、キャラクタたちは、その世界の中で引き続き楽しくやっているだろう。それを眺めることができないという、仲間はずれをくらったような気持ち。すっかり大人になってしまった今の感傷を当てはめるなら、のっぴきならない都合で自分だけ二次会に行けない、そんな感じ――

 

ともかくも。物語の終わりは、強制的な世界・キャラたちとの別れだという感覚が、ずっとあった。

 

のだが、『少女終末旅行』は少し毛色の違う作品だった。タイトルが 「終末旅行」なのである。ぼろぼろの世界を、ケッテンクラートに乗って進んでゆく少女ふたり。どんな設定だ。作者は天才じゃないのか。

「終末」というのは、彼女たちが旅をする世界のこと。たぶん。

色々なものがぼろぼろになっている。人もあんまりいない。畑の土の匂いなども、しない。コンクリートが多めの世界。死の匂いがするというよりは、「生」が少ないということなんだろう。

その中を旅する彼女たちには、死の匂いはあまり漂っていない。どこかにひずみをかかえたような快活さでもって、好奇心(好奇心は、生きてゆく者たちの特権だ!)の赴くままに「終末」を突き進んでいく。空虚ながら、おちゃらけた雰囲気。「ひずみ」や「空虚さ」というものには、本来の(私達の世界の)「快活さ」の中には見出されない、終末世界に対する「諦め」が感じられるからだろう。だからこそ、彼女たちの在り様に、戸惑ってしまう。灰色の世界の中で、どこかまぶしい。そんな彼女たちの存在の眩しさは、終末という世界の対極にある。それが、この物語を「ただの絶望のかたまり」にはさせないという意味で物語そのもののバランスを取っていて、それと同時に、彼女たちの存在そのものを「終末」から遠ざけている。そんな感覚があった。

しかしながら、最終巻では少しずつその均衡が壊れていく。

舞台装置的でさえあったケッテンクラートが、銃が、そしてチトが大事に抱え込んでいた本たちが、壊(さ)れ、投げ捨てられ、破られ、燃やされる。「『少女終末旅行』のキャラクタ」を「『少女終末旅行』のキャラクタ」とするためのアイコニックなパーツが引き剥がされ、キャラクタがどんどん「ただの人」になる。

 

一日中歩いて疲れるからすぐ眠り 次の瞬間寒さで目が覚めている

意識のない間私たちは本当に生きているんだろうか⋯

一瞬死んだりしてるんじゃないだろうか⋯

そんなことを考えると

生と死の境がぼんやりしていくようで

少し怖い

(『少女終末旅行』6巻 p.87)

 

終わる終わる、みたいな雰囲気を出しておいて終わらない。「閉店セール」ののぼりが何年もはためいるような間延びした「終わり」の中をトコトコと進み続けてきた、そんな雰囲気でずっとやって来た作品がついに迎える終わり。待ちに待った、と言うとヘンだ。どこかで、「んなこと言って終わんないんでしょ」というメタな読みがあり、どこかで「永遠に生きてほしい」という願いがある。あった。しかし、色々なものを失っていった彼女たちは、「永遠のアイコンとしてのキャラクター」から「生きている人」になってしまった。「生きている人」というのはつまり、「死に向かう人」ということだ。

最終話の、終わりの終わりのそのちょっと手前の、階段を登りつめてゆく中で感覚がなくなってゆくシーン。あれがもう本当に、本当に圧巻だった。マンガを読んでいてあそこまで息が詰まっていく瞬間というのもなかなかない。記憶を消してぜひもう一度、という瞬間だった。あまりにもうつくしかった。

しかたない。でもしかし本当に、本当に終わってしまうのか?!?!??!?

という静かな緊張感の盛り上がりがあった。

 

⋯⋯

 

 

⋯⋯

 

いや、死なないんかーい。

 

これよこの、この緩急。なんだこれ。えっ、死なない?! てっぺんだ?! や、やったー??

 

彼女たちがそのまま尽きてしまわなかった点は、喜ぶところなんだろうと思う。

それでも、まだちょっと生き長らえただけ、そんな印象もある。どこまでいっても終末旅行。終わるまでは終わらない。トボけた雰囲気。彼女たちの旅は、やっぱりまだ、「『少女終末旅行』のチトとユーリ」として続く。のかなあ。

 

たまんないなあ。たまんないよ。ものすごい、作品でした。

 

 

 

というのが初見の感慨だったものの、あらためて読んでみて、最後、すっと眠っていった中で逝ってしまっていた、というのもものすごくあり得るな、ということを思ってしまった。

もちろん、寝入ってまたしばらく経って普通に目を覚まし、やっとたどり着いた上層というのも、世界のなんてことない一部だったね、ということになって、またこれまでのように旅は続く⋯⋯というのも、あるかもしれない。

しかし、彼女たちを「『少女終末旅行』のチトとユーリ」とするモノたちを失って失って、失った先にほんのちょっとだけ希望の火が灯って、でもやっぱり、しゅんと消える。そういう緩急というのも、あるかもしれない。

作品(固有名詞)としての『少女終末旅行』の終わりなら前者、一般名詞としての「少女(たちの)終末(での)旅行」の終わりなら、後者。「終わるまでは終わらない」らしい。最終巻の最終話では、何が「終わった」んだろうか。

 

 

おまけ。

midjourney が出回りだして割とすぐの頃に生成してもらった画。キューのメモには「two girls with rifles standing in the ruin of a city」と書いてある。割と好きな雰囲気で気に入っているけれど、使う機会はない。